① 既存ダムの“未利用ポテンシャル”──眠っている国産エネルギー
日本には、約2,700のダムがある。
その多くは治水や農業用水を目的として建設され、
発電機能を持たないまま、静かに水を湛えている。
この“既存ダムの未利用ポテンシャル”は、 専門家の間では以前から指摘されてきた。
発電設備を追加するだけで、 新たなダムを建設することなく、
国産の再エネを増やすことができる。
だが、行政の縦割りがこの可能性を妨げている。
治水は国交省、農業用水は農水省、発電は経産省── それぞれの管轄が異なるため、
「誰が責任を持つのか」が曖昧になり、 前に進まない。
本来なら、 “国土が育んだ水の力”を最大限に活かすべきなのに、
その力は眠ったままだ。
私は岩村ダムを思い出すたび、
この“眠っている力”のことを考える。
あの静かな水面の奥には、
人の心を整える力だけでなく、
国の未来を支える力も潜んでいるのではないか──
そんな気がしてならない。
② なぜ水力は軽視されてきたのか──高度成長期の影
日本が水力を軽視するようになった背景には、
高度成長期のエネルギー政策がある。
かつて日本は、 「水主火従」──水力が主、火力が従 という構造だった。
山が多く、川が急で、雨が多い日本では、 水力は国土に最も適した電源だった。
しかし高度成長期、 大量の電力を短期間で供給する必要が生まれ、
石油火力が急速に普及した。 その後、原発が“安定供給”の名のもとに主力化し、
水力は「古い電源」と見なされるようになった。
だが、これは誤解だ。
水力は古いどころか、 最も成熟した再エネであり、 最も安定した国産エネルギーである。
水力が軽視されてきたのは、 技術の問題ではなく、 政策の方向性が変わっただけなのだ。
③ 岩村ダムの記憶が教えてくれたこと──国土の静かな力
岩村ダムの水面を見つめていると、
水はただ流れているだけではないことに気づく。
山に降った雨が川となり、 谷を削り、
やがて人の暮らしを支える力へと姿を変える。
その循環は、 人間が作ったものではなく、
国土そのものが育んできた力だ。
私は若い頃、 心を整えるために岩村ダムへ通った。
あの静けさに救われた日々を思い出すと、
水力発電は単なる“電源”ではなく、
日本の国土と人の暮らしを結ぶ“記憶”のように思えてくる。
日本は、 この静かな力を忘れてしまったのではないか。
水力を語ることは、 国土の記憶を語ることでもある。
④ 水力は「古い電源」ではなく「未来の基盤」──揚水・調整力・国産エネルギー
水力の最大の強みは、 調整力にある。
太陽光や風力は天候に左右されるが、
水力は必要な時に発電量を増減できる。
特に揚水発電は、 “巨大な蓄電池”として機能し、
再エネの変動を吸収する役割を果たす。
さらに、 水力は燃料を海外に依存しない。
つまり、 完全な国産エネルギーである。
CO₂削減、エネルギー安全保障、災害時の強さ──
どれを取っても、水力は日本にとって欠かせない。
世界が再エネ主力化へ向かう中で、
日本が持つ最大の強みは、 実はこの“水力”なのではないか。
水力は古い電源ではない。
むしろ、 未来のエネルギー政策の基盤になり得る。

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