① 東日本大震災と福島第一原発事故
東日本大震災から十年以上が過ぎた。
だが、福島第一原発事故は「過去の出来事」ではない。
廃炉作業は今も続き、汚染水の処理は終わりが見えず、
帰還できない地域は地図の上にぽっかりと穴のように残っている。
テレビの報道は減り、新聞の紙面も小さくなった。
人々の記憶から、静かに、しかし確実に、 あの日の衝撃が薄れていく。
だが私は、この“風化”という言葉にどうしても抗いたい。
福島には、まだ帰れない人がいる。
家を失い、仕事を失い、地域のつながりを失った人がいる。
そして何より、
「もう二度と同じことを繰り返してはならない」 という誓いが、国全体から薄れつつあることが怖い。
事故直後、私たちは確かに誓ったはずだ。
「原発に頼りすぎたエネルギー政策を見直す」と。 「安全神話に浸った政治を変える」と。
「福島を忘れない」と。
しかし今、国の政策は再び原発推進へと傾きつつある。
“安定供給”という言葉のもとに、
“脱炭素”という大義名分のもとに、
あの日の痛みが、都合よく棚に上げられようとしている。
② 見える被害──地図に残る傷跡
福島の被害には、まず“見える被害”がある。
壊れた建物、汚染された土地、立ち入りが制限された区域。
これは地図にも数字にも残る、誰の目にも明らかな傷跡だ。
帰還困難区域は、 「いつか戻れる」という希望を抱きながらも、
年月が経つほどに現実味を失っていく。
廃炉作業は40年とも50年とも言われ、 その長さは、ひとつの人生に匹敵する。
これらは、国の政策がどれほどの重荷を未来へ残したかを示す“物理的な証拠”だ。
③ 見えない被害──時間の中に沈む痛み
しかし、より深刻なのは“見えない被害”である。
数字にも地図にも表れない、心の奥に沈む痛みだ。
家族が離れ離れになったこと。 地域の祭りが途絶えたこと。
子どもたちが故郷を「知らない場所」として育つこと。
そして、 「自分たちは忘れられたのではないか」 という静かな不安。
風評被害は、事故から十年以上経っても消えていない。
コミュニティの崩壊は、復興計画の数字では測れない。
これらは、時間が経つほどに深く沈み、 やがて“見えなくなる”という形で人々の心に残る。
私は、岩村ダムの静けさを思い出すたびに、 この“見えない被害”のことを考える。
水面の下に沈んだものは、消えたわけではない。 ただ、見えなくなっただけだ。
福島の記憶も同じだ。
見えなくなったからといって、終わったわけではない。
④ 福島を忘れた国に、未来のエネルギー政策は語れない
エネルギー政策を語るとき、 数字や制度の議論は欠かせない。
だが、その前に、 「なぜ私たちはエネルギーのあり方を問い直すのか」
という原点を忘れてはならない。
その原点こそ、福島であり、 あの日の誓いであり、 未来の世代への責任である。
福島を忘れた国に、 持続可能なエネルギー政策を語る資格はない。
そして、原発推進に傾く今の流れに“待った”をかけるためにも、
私たちはもう一度、 福島を心に刻み直す必要がある。
次回は、世界がどのように再エネへ舵を切り、 なぜ日本だけが逆行しているのかを見ていきたい。

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