人生100年時代の「喜怒哀楽」──昭和を生き、令和を歩む私の実感

国内問題

はじめに

人間50年」。 織田信長が桶狭間へ向かう際に舞ったとされる
幸若舞『敦盛』の一節は、長く日本人の寿命観を象徴してきた。

しかし平成の中頃から、私たちは「人生100年」という新しい言葉を耳にするようになった。
戦後の平和、衣食住の劇的な向上、医療と科学の進歩──そのすべてが寿命を押し上げた。

長く生きることは、良いことばかりではない。
喜びもあれば、怒りもある。哀しみもあれば、楽しみもある。

私はそれを、あえて「喜怒哀楽」という古い言葉で整理してみた。

喜 ― 科学と文明の進歩に立ち会える幸せ

昭和生まれの私たちは、手塚治虫の描いた未来を、
まるで現実のように追いかけてきた世代だ。

空飛ぶ車が話題になり、AIがどんな質問にも即座に答える。
人生相談までこなす時代になるとは、誰が想像しただろう。

長く生きれば、科学の進歩とともに歩める。

それは紛れもなく「喜び」だ。

怒 ― 長寿社会の裏側に潜む“計算外”

怒りというより、戸惑いに近い感情かもしれない。

男女が出会い、結婚し、子が生まれ、家を建てる。
多くは30年ローン、時には二世代ローン。

将来計画は万全のようで、実は落とし穴も多い。

10〜15年目に訪れる外壁や屋根の補修。
足場を組むだけで100万円を超えることもある昨今。

ローン返済と重なれば、家計は一気に苦しくなる。

「新築時に修繕積立が必要だなんて考えもしなかった」
そう思う自分の甘さに、腹が立つこともある。

経年劣化は当たり前。 それでも、怒りの矛先は結局、自分に向かう。

哀 ― 失われた“家族のかたち”と老いの現実

昭和の家には、じいちゃん、ばあちゃんがいた。
三世代同居は珍しくなかった。

だが今は違う。 老いは静かに、そして確実に「孤独」という影を連れてくる。

体力の衰え、できていたことができなくなる焦り。
WordPressの操作に戸惑い、カタカナ語を一つひとつ検索する日々。

人生を面倒だと思っているわけではない。
ただ、時折ふと「嫌な自分」が顔を出す。

それが“哀”なのだろう。

楽 ― 過去と未来をつなぐ「自然体」の生き方

「喜」と「楽」は似ているようで違う。
私にとって「喜」は現在進行形、「楽」は過去と未来を含む広い感情だ。

子や孫の成長を見届けられること。
知らなくてもよかったこともあるが、それもまた人生。

同じ6月生まれの孫と祝う誕生日の膳。
それを楽しみに待つ時間は、何ものにも代えがたい。

自然体で生きること。

それが、人生100年時代の「楽」なのだと思う。

おわりに

人生100年は、長いようで短い。
喜怒哀楽が折り重なり、ようやく一つの人生になる。

昭和を生き、令和を歩む私たちは、 過去と未来のちょうど真ん中に立っている。

だからこそ、 「自然体で生きる」 その一言に尽きるのだ

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